東御市のくるみ栽培のはじまり
長野県東部に位置する東御市は、
2004年に小県郡東部町と北佐久郡北御牧村が合併して誕生した、
人口約3万人の小さな市です。
市の中心部を流れる千曲川を境に、
北側には上信越高原国立公園の浅間連山、南側には台地が広がり、
町なかから高原エリアまで標高差1,500mの豊かな自然が残る地域です。
東御市のくるみ栽培のはじまりは、大正時代にさかのぼります。
大正天皇即位を記念し、現在の東御市和(かのう)地区の全戸に、
くるみの苗木が配布されたことが始まりとされています。
雨が少なく晴天率が高い、冷涼な気候と水はけのよい土壌に恵まれた
東御市は、まさにくるみ栽培に最適な土地でした。
信濃くるみの誕生
東御市で主に栽培されるくるみは、カシグルミとペルシャグルミの自然交雑によって出来上がった「信濃くるみ」と呼ばれる品種群です。従来のカシグルミより実が大きく殻が薄くて扱いやすいことや、コクのある風味豊かな味わいが高く評価され、全国で販売されるようになりました。
1951年、信州大学農学部で接木法が開発されたことによって接木苗の生産が始まり、品種改良の取り組みが加速しました。また、1958年には長野県と各関係団体による産官学の連携調査によって優良品種の選抜が行われ、東御市では11品種(晩春・要鈴・美鶴・みずほ・豊笑・金豊・豊園・和光・清玉・信鈴・清香)が選定されています。
こうして良質な国産品種「信濃くるみ」として全国へ出荷されるようになり、
東御市は「くるみの里」として広く世の中に知られるようになったのです。
日本くるみ会議の発足
くるみ栽培に適した理想の気候風土、信濃くるみという良質な品種の誕生、
くるみのある暮らし文化、こうした複合的な背景から、東御市は全国のくるみ生産量の約半分を占める一大産地となりました。
しかし、1975年をピークに栽培面積は減少の一途をたどることになります。
市場の大半を安価な輸入クルミが占めるようになったためです。
東御市内のくるみの木は次々と切り倒され、
最盛期の約40,000本から1998年には約3,000本まで減少しました。
一大産地として注目された東御のくるみ栽培は、衰退の危機に陥ります。
この状況に危機感を募らせた地元の有志たちは、
「日本一のくるみの里」の将来を検討しようと立ち上がります。
そして、1997年に「日本くるみ会議」が発足しました。

私たちが目指すこと